TOMATO UNIVERSITY 

トマト大学
医学部 

トマトの機能・効能について
国際関係学部 

世界のトマト事情
栄養学部 

トマトのおいしさのヒミツ
農学部 

トマトの赤は太陽の恵み
文学部 

トマトの歴史
トマトの語源と各国での呼び名
アンデス生まれのメキシコ育ち
トマトの大航海時代
トマトの日本デビュー

文学部 トマトの歴史 

トマトの語源やトマトの生まれ、豆知識など、様々な視点からトマトの歴史を勉強します。
トマトの日本デビュー
トマトが日本へ伝わったのは?栽培と国産ケチャップの誕生の歴史です。
江戸時代に渡来

日本にトマトが伝わったのは17世紀なかば。徳川四代将軍・家綱のおかかえ絵師・狩野探幽が「唐なすび」と呼び、1668年にスケッチしています。文献でもっとも古いものは、江戸前期の儒学者・貝原益軒の『大和本草』(1709年)で、「唐ガキ」と紹介されています。

最初はヨーロッパ同様、観賞用として珍重されていました。食用になったのは明治以降。キャベツやたまねぎ、アスパラガス、にんじんなどの西洋野菜とともにあらためてヨーロッパやアメリカから導入されたのでした。

狩野探幽の「唐なすび」(東京国立博物館所蔵)
カゴメ創業者がトマトを栽培
当時のケチャップ製造風景

その西洋野菜にいち早く目をつけ栽培に着手したのが、カゴメの創業者である蟹江一太郎。兵役を終えて帰郷した翌1899(明治32)年の春のことです。農家の跡取りだった一太郎は、愛知県知多郡荒尾村(現在の東海市荒尾町)の自宅の脇に、トマトをはじめさまざまな西洋野菜の種を蒔きました。これがカゴメ誕生の第一歩です。

一太郎は、やがて収穫した西洋野菜の販売を始め、ホテルや西洋料理店など少しずつ得意先を増やしていきました。しかしトマトだけは独特の青くささと、真っ赤な色が敬遠され、全く売れずに頭を悩ませます。そんな折、西洋ではトマトを加工して使うこともあると聞き、舶来のトマトソースを手本に独自のトマトソースの開発に乗り出したのです。

国産ケチャップの誕生
古いカゴメ製品のパッケージラベルと容器

蟹江家が一家総出で試作品に取り組んだ結果、1903(明治36)年に第1号のトマトソース(現在のトマトピューレー)が完成。高い評価を受けるとともに事業規模も拡大。5年後の1908年には、トマトケチャップとウスターソースの製造を開始しました。

当時はコロッケなどの洋食がもてはやされていたこともあり、トマトケチャップにさきがけてウスターソースが一気に大ヒット。さらに大正初期から昭和にかけて、家庭料理の洋風化がすすむにつれ、トマトケチャップは大きく売り上げを伸ばし、私たちの家庭にもなじみの味として定着してきたのです。

トマトの大航海時代